「本の中の人と実際に会う人」

 本の中に出てくる人は何かフィルターの向こう側にいて、自分には大きな影響を与えないで、好きな時に好きなページを読める。これは「あの説」の神に似ていると思います。
その神様は何かフィルターの向こう側いて、はっきりしない姿で、自分には大きな影響を与えないで、好きな時に自分の好きな神様に変えられる。何か自分中心に考えてしまう。
 実際に会う人は向こうの人が主導権を持っていて、突然現れる人のようです。聖書の中に出てくる三人の神様は、いま実際に存在している人のようで身近に感じます。その人の気持ちがドラマティックに心に伝わってきます。ゲッセマネの園でイエス様がどんなに悲しかったか。どんなに孤独で自分の味方は誰一人いなく、みんなが自分のことを罪人と見て地獄へ落ちろと思い(父なる神様さえ)、どんなに落ち込み、八方ふさがりで誰も自分を助けてくれないと思い、絶望していたか。まるでその人になったように、その人の気持ちが手に取るようにわかります。まるで自分が透明人間になって、ゲッセマネの園で祈るイエス様の近くにいるようです。