暖かく無関心なホッとする人(P君)2197話

 午後2時15分、彼ら6人は聡のミニバンで誰も知らない喫茶店に入ることにした。
その方が前向きで自分たちには相応しいことだと思った。それはD君の提案だった。
彼らはこれから未知の世界に入る、聖書の世界だ。驚くようなことを知るようになる
。入った事のある喫茶店は未知の世界じゃない。それと今までの生活習慣は似ている
と思う。入ったことのない店に入るのは、ある意味勇気がいる。だって知らない人だらけで、知った顔がない。でもD君は思った。信仰の世界に入るのも、これに少し似ている。
日本人のほとんどの人は自分の家は仏教だから、自分は仏教徒だと思っているが、その
仏教のなりたちや、どうしてほとんどの日本人は仏教なのか考えてみたこともない。
D君は前から変だと思っていた。なぜなら法律で信教の自由は保障されている。それなのに「一応仏教徒」という人が多すぎる。それはちょうど、ある小屋の中に閉じ込められて
いるのに「君は自由だ、何を信じてもいいよ。」と言われているようなものだ。それは
本当の自由じゃない。小屋のドアのロックを解放して、扉を開けて初めて「君は自由だ、
何を信じてもいいよ。」だ。じゃあ日本人を小屋の中に閉じ込めているのは誰か?と
考えていたら、それは日本人独自の性格だ。で何でも人と同じだと安心する。個性がない方が正常だと思う性格。でも内心そんな人ばかりなので飽き飽きしている。話は戻るけど
日本人の宗教観には、無言の圧力というものがある。「一応仏教徒」という人が多い
日本社会は、自分も右に倣えで「一応仏教徒」を演じれば、波風が立たない。だから
信教の自由が保障されても日本人でクリスチャンになる人は少ない。少数派であること
で恥ずかしがる人もいるが、それは可笑しい。国際的に見れば日本人は欧米人に憧れて
いる。日本人は外向きになると「無言の圧力」から解放されるが、内向きになるととたんに「無言の圧力」に屈してしまう。そんな二面性が日本人にはある。その圧力に負けるのは、例えば分厚い鉄板で出来ているLPガスのボンベ内部はすごい圧力が掛かっているのにビクともしない。でもこれが薄っぺらいプラスチック製だったら、少しの圧力で爆発
してしまう。だからD君は「仏教についての理論武装」をしようと思った。いったい
なぜ日本人はほとんどの人が仏教徒になったのか。事実、戦国時代にはクリスチャン大名
が多くいたのに、その後、彼らは姿を消し、ほとんどの人が仏教徒にされた。どうやら
この時代に劇的なことが起きた。それが分かれば「仏教についての理論武装」ができ
分厚い鉄板のように「無言の圧力」から解放されると思った。東京に帰ったら、このこと
を調べようと思った。そんなわけで、まだ誰も知らない喫茶店に彼は入りたかった。
  
                                     つづく