「構造的な欠陥」

 最近よくニュースになる高齢者ドライバーによる、アクセルとブレーキの踏み間違え
による交通事故。今は9割以上の車がAT車だと思います。それで人が急に飛び出してくるとドライバーはパニックになり、考える前に とっさに ペダルを踏んでしまいます。
また認知機能が低下した高齢者は間違えることが多くなると思います。
 そもそもアクセルとブレーキペダルが並んでいることが、踏み間違えの原因だと思います。これは構造的な問題で、これを何とかしないと、これからも増え続けるでしょう。
 何で、この問題について考えているかというと、これは聖書理解と似ていると思ったからです。聖書理解も二つの正反対の物が、平気で並んでいます。これを間違えたら大変な
ことになります。だから冷静に聖書に沿った理解が大切だと思います。人はパニックに
なると、よく考えもしないで今までしていたことをしてしまうんだと思います。それで
今までアクセルを踏んでいたので、人が飛び出して来るとき、思いっきりアクセルを踏んでしまうんだと思います。ブレーキを踏むにはアクセルから いったん ペダルをはずし
足を動かしてブレーキペダルに踏み変えなばけれなりません。それには冷静な心の状態
でないとできません。
 聖書理解も、それに似ています。今までのままでいいのか?冷静な心の状態で聖書を
読むことが大切です。人はつい周りの人に流され、自分一人での冷静さを失ってしまいます。アクセルは「あの説」三つにまして一人の神、です。ブレーキペダルは「我々」です。ブレーキの方が重要です。なのに人はパニックになるとアクセルを踏んでしまいます。アクセルは危険が伴います。ブレーキは思いっきり踏んでも問題ありません。
 クリスチャンは気軽に「あの説」(アクセル)を使いますが、それには危険が伴います。(聖書が理解できなくなる。)それより「我々」(ブレーキ)の方が大切です。