「解かれた問題」

 長い間、解けなかった問題の解答がわかった時の爽快感は他にない。聖書には長い間
考えていても、わからなかった問題がいくつもある。まず最大の問題は「あの説」は聖書のどこにも出てこないのに、どうして大きい顔をして、この説を否定する人に審判でもないのにレッドカードをつきつけるのか?その人の方が神様(本当の審判)からレッドカードをつきつけられ退場させられる。何の権威もないのに(本当の権威は聖書からくる)レッドカードみたいなものをふりまわしている。それは何の権威もないので恐れることはない。「あの説」は聖書の御言葉と矛盾している。私は聖書の方をとる。だから「~三つにまして一人の神~」は歌いません。
 そして創世記の「我々」とは、いったい誰と誰と誰なのだろうか。そこで仮に「我々」
の三人を父なる神様と子なる神様と聖霊様と、あてはめてみた。これは私がよくやる方法
で、よくわからないとき仮に何かをあてはめてみる。それでスムーズに行くようなら、
それが当たりです。その方法を聖書でもしたら、聖書の難問が次々に解けていきました。
この三人は野球のチームのようです。監督(父なる神様)ピッチャー(子なる神様イエスさま)キャッチャー(聖霊様)です。チームの作戦は、まず監督はキャッチャーにサイン
を出し、そのサインをキャッチャーはピッチャーに出します。