「本当の聖書的正当」

 ときどき思いますが、AC313年に決まったアタナシウスが作った「あの説」
の代わりにアリウスの聖書的正当教義がローマ帝国のキリスト教社会の基本
であって、ここから離れている教えを異端とすればよかった。と言うことです。
「あの説」を作ったアタナシウスも、決定してしまった皇帝コンスタンティヌス
もクリスチャンでなく聖書を真剣に読まなかった結果、「あの説」と言う
クリスチャンを混乱させる説ができてしまった。あの時、聖書理解力に富んだ
クリスチャンのアリウスの聖書的正当教義が裁判で可決していれば、どんなに
よかったかと思います。
 ではアリウスが裁判で語った、聖書的正当教義とは、いったいどんな事
だったかと言うと、これは聖書をよく読む人なら聖書から離れた事を何一つ
語っていないので、これが正しい聖書理解です。
 創世記の初めの方に、これが書かれています。「はじめに神が天地を創造した。」
この神ですが使徒信条では父なる神様が創造したと言っていますが、これは誤りです。
正解はパウロがコロサイ、へブル書で書いたように、子なる神様(イエス様)が
創造しました。父なる神様は一番はじめに子なる神様(イエス様)を創造しました。
この子なる神様(イエス様)に相続権を委ね、好きなように万物を創らせました。
 そして一日目の光の創造からはじめ、六日目の動物の創造まできましたが、
子なる神様は、まだ何かが足りないと思いました。そうだ、これらの動物を支配する
人間と言う生き物を創ろうと思い、あとの二人の神様を呼びました。集まったので
言いました。「我々に似せて人を造ろう~」あとの二人も賛成したので創ることに
なりました。姿は神様と人間の姿は似ているということです。(イエス様は最初の
アダムと言われていたように、アダムのモデルになったのはイエス様でした。)
 このように聖書の核となることは創世記に書かれています。この書を正しく理解
しないと、おかしなことが起き、「あの説」のような変な説ができてしまいます。
この創世記を正しく理解することが、本当の正当教義、正当教会になれば良いと
つくづく思います。