「再スタート」

 パウロは悩んでいた。先日、旅の途中に突然、目が見えなくなったと同時
に主から今後のことを教わった。多分、主が私の視力を奪い、主が私を再び
見えるようにして下さった。彼は過去に私が殺したいほど憎んで、実際仲間
のユダヤ教指導者たちと、どうやってイエスと言う人をローマ人の手で殺せ
ばいいか話し合った。彼が十字架刑の時、私は近くで見張りをしていた。
 当時、ユダヤ人たちはユダヤ教のただ一人の神への忠誠を捨て、新しく出
て来たイエスと言う人の奇跡と教えに夢中になった。彼等が何より許せなかっ
たのは、彼は自分を私は神の子だという発言だ。モーセの十戒によると、
ただ一人しか神は居ないはずだ。それなのに彼は自分も神だと言っていた。
彼は死刑になるのが当然だと思っていた。その後、不思議な事が立て続けに
起こった。彼は死刑の三日後に墓から無くなった。それからエルサレムで彼
が死から、よみがえったと言う彼の弟子たちの集会に集った人たちは、
今まで見たこともないほど喜びにあふれていた。
 私は当時、本名のサウロと言っていた。私はイエスの弟子たちの上に起こ
ったことが分からなかった。私は彼らを脅迫し殺そうと思っていた。大祭司
のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それはイエスの教え
に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行する
ためであった。その旅の途中に例の事件が起き視力が失われた。そして再び
見えるようになり、私は生まれ変わった。ユダヤ教指導者たちは私が急に
変わってしまい、以前は許せなかったイエスの弟子たちの側に立っている
ことが理解できなかった。しかし、私は分かった。創世記の「我々」は、
父なる神様と子なる神様(イエス様)と聖霊様の三者だから「我々」なのだ。
以前ユダヤ教徒だった頃は「どうして唯一の神が「我々」などと言うのか?」
と思っていた。私は、そのことが分かったが、かつての仲間たちは分からない。
きっと彼らは私の気が変になったのだろう、と思っているだろう。彼らの私への
ほとぼりが冷めるまでアラビアに行って、彼らから身を潜めていよう。彼ら
は私を裏切り者として、ただでは済まされないだろう。
 いったい、これまでの半生は何だったのだろう。ユダヤ教と十戒のことは
知り尽くしている。でもキリスト教徒に改宗した。ユダヤ教とキリスト教の
両方を知っている人は貴重だと思う。
 パウロが、そう思ったように「あの説」を知っているクリスチャンで、かつ
「あの説」の成り立ちを知っているクリスチャンはロックされたドアの鍵を
持つ文字通りキーマンです。その人は聖書理解の部屋のドアを開けることが
できます。そこからが聖書理解の再スタートです。