「セキュリティが掛けられた難解プログラム」

 以前、書いた「踊る大捜査線」の映画で思い出した事があります。
それは犯人グループが警察官を警察署内に、分厚い金属製の扉で閉じ
込めましたが、その時、外にいた救出班に上層部の人が「早く扉を上
げろ!」と怒鳴りましたが、そのプログラムを解除しようとした人が
「このプログラムを作った人すげー。セキュリティにセキュリティが
掛かっている。」と言いました。という場面です。
 この人が言ったセキュリティが「あの説」にも掛かっています。
「あの説」という扉に閉じ込められたクリスチャンは、まず最初に
セキュリティを外さなければ、「あの説」という頑丈な扉を解除でき
ません。それは異端と言う名のセキュリティです。多くの人は異端者
と言われたくないために、「あの説」の正体を暴くため近づくことを
恐れていました。でもそれを仕掛けた人はフェアプレーでなく、勝負
したら必ず負けるので、勝負を避ける卑怯者のやり方です。
 「あの説」をローマ帝国のキリスト教の正当教義にするかどうか?
という議会(国会に当る)で、アタナシウス(太陽三神に通じる)が
提案した「あの説」、に対抗する意見は異端者のレッテルを張ると言
う、初めから「あの説」優遇の、議会の意味のないことを政府は始め
ました。(まるで出来レースのようで最初から答えは決まっていた。)
 これはまずいとしたアリウス(聖書理解に通じているクリスチャン)
は「あの説」の聖書的でない点を力説し、そして異端者と言われる事
を厭わないで激しく抵抗しました。
 が、残念ながら賛成多数で「あの説」は可決し、ローマ帝国の正当
なキリスト教の教義になってしまった。(詳しくは、5月14日のブログ
「アタナシウスの真実」をご覧下さい。)そしてアリウスは有罪にな
った。
 こんな汚いやり方で「あの説」は正当教義として大きい顔をしてい
るわけですが、それは法案を通し可決させるやめに、人の一番嫌がる
異端者のレッテルを利用した方法でした。人間心理にまで支配しだし
た。聖書的な異端者と非聖書的な正当派のどちらが神様に喜ばれます
か?