「閉じ込められたクリスチャン」

 以前、警察署内に閉じ込められた警察官の映画のことを書きました。
この警察官に現在のクリスチャンも似ています。「あの説」という扉
に閉じ込められています。余りにも長い年月その扉に閉じ込められて
いるため、閉じ込められていることすら意識しなくなっています。
「あの説」に閉じ込められていると、どんなデメリットがあるでしょ
うか?まず第一に、その範囲内でしか行動できません。もし警察官が
警察署内に閉じ込められてしまえば、悪者のやりたいほうだいなので、
近隣の市民の安全が奪われます。そのようにクリスチャンが「あの説」
に閉じ込められてしまうと、まず聖書が理解できなくなります。さら
に聖書の緊迫感(リアリティー)が無くなり、近い人に伝道しようと
いう気持ちがなくなります。(自分が聖書の事を理解できないので、
他人にも聖書の事を説明できない。) 聖書の事を他人に説明できない
クリスチャンを育てて、どうするのか?子羊を生むのは羊です。
羊飼い(聖職者)が子羊を生むわけでありません。クリスチャンを見
て、あの人みたいになりたい。と思い、その人に誘われて一緒に教会
へ足を運びます。誰の紹介も無く、たった一人で教会に来る人は大変
めずらしいです。
 では、どうすればいいのでしょうか?まず自分は「あの説」に閉じ
込められていることを意識し、そのため聖書が理解できなくなってい
ことを知ることです。次に「あの説」の事を知ることです。自分も昔
は、「「あの説」は神様に関する神秘なことだから、興味を持つこと
すらおこがましい。」と考えていましたが、いつまでたっても聖書が
理解できませんでした。しかし、ある日読んだ創世記の「我々」とい
う言葉が、きっかけとなって次々に聖書の謎が解けてきました。
 そして、キリスト教関係の本でない第三者の書いた世界史の本の中
に、ローマ帝国の政府がどのような理由で「あの説」を作られたのか
が書いてありました。(キリスト教関係の書物ですと、歴史的な真実
が書かれないで、「あの説」を擁護しようとし、真実が捻じ曲げられ、
何時まで経っても聖書が理解できない。)
 こうして私は「あの説」という扉から解放されました。私だけでな
く一人でも多くのクリスチャンに「あの説」の真実を知ってもらいた
いです。そして聖書を理解して自身を持ってノンクリスチャンに伝道
してほしいです。