「封印されてきた第三の神」

 「我々」という神様を知ることが,聖書理解の部屋のドアのロックを
解除できる鍵です。このロックは「あの説」です。「我々」という鍵
だけが聖書を理解できる鍵です。この「我々」が誰か知ることは重要
です。「我々」は父なる神様と子なる神様(イエス様)と聖霊様です。
父なる神様と子なる神様(イエス様)は現在、神の国(天の御国)に
います。この地上にいるのは聖霊様だけです。ところが不思議な事に
クリスチャンは父なる神様と子なる神様(イエス様)に比べて聖霊様
を軽んじる傾向があります。その方を部屋に閉じ込め封印し、前面に
出しません。「あの説」の三つにまして一人の神 は聖霊様を一人の
独立した人と認めていません。「あの説」では、いつも父なる神様と
子なる神様(イエス様)と聖霊様は一緒に行動し心も一つですから、
合体した一人の人らしいです。でも聖書をよく読むと実は違います。
ゲッセマネの園でイエス様は十字架に架けられることを何とか避けら
れないか、父なる神様に切に願い祈りましたが、答えはNOでした。
これは父なる神様はイエス様と異なる心(対立する心)を持っていた
証拠場面です。これを「あの説」の一人の神というのは無理です。
 そしてイエス様が天上に帰った後、代わりに聖霊様が地上に来た訳
ですが、今現在、地上にいるのは聖霊様だけです。その聖霊様も再臨
の時を何時か知りません。父なる神様と子なる神様(イエス様)と
聖霊様は全く別の人です。ここのところは大変重要です。聖霊様でも
父なる神様の考えの全てを知っていません。そしてイエス様が天上に
帰られた代わりに聖霊様が地上に来たのは、会社に例えればベテラン
社員が定年退職するので、新しく社員が入社するようなことです。
この新しく会社に入った人は聖書の初めから父なる神様と子なる神様
(イエス様)と一緒にいた頼もしい方です。イエス様の代わりに来ら
れたのですから、イエス様に勝るとも劣らない凄い方です。ですから
ベテラン社員がいないと何も仕事ができない新入社員と違い、一人で
何でも出来る方です。ですから子なる神様(イエス様)と聖霊様は
全く違う独立した方で聖霊様はイエス様に頼ろうなどと少しも思って
いません。福音書を読めば分かると思いますが、むしろイエス様が
挫けそうな時、ピッチャーを慰めるキャッチャーのようにしていました。
 そんな頼りになる聖霊様を一人の人として、一人前の大人として
扱わない「あの説」に対し聖霊様は大変怒り憤慨しています。それが
証拠にアジアや南米には「あの説」などなく純粋に聖書だけを信じて
いるのでリバイバルが起きています。反対に日本や欧米には「あの説」
がクリスチャンのうちに根づいているので、(「あの説」は聖霊様を
軽んじ、大切な方と認めていない。)いくら熱心にリバイバルが起こ
るように祈っても聖霊様も、その会場に行きたくないでしょう。